霧吹50句   佐藤文香

逆光の汽船を夏と見しことも

島ひとつ視界に収め半夏生


橋に影青々とある日の盛り

舐めて貼る切手冷たき聖五月

金魚玉水に未明の匂ひあり

黄の紐を誰か落せる梅雨入かな

鉄棒の下のくぼみや明易し

我動く音の渡るや夏館

夕暮の長き若布を洗ひけり

水音のゆたかなる絵を片陰に

蝙蝠や花瓶の水を捨てに行く

天瓜粉首の長さを持て余し

蜜豆の緻密な黒を掬ひけり

万緑の前に言葉の湿りたる

朝顔や硯の陸の水びたし

十六夜に洗へば縮む帽子かな

夕顔の実や天に干す靴の底

澄む秋の天井を這ふ管二本

きびきびと星の増えゆく汀女の忌

平凡な海を抱ける鰯かな

秋霖や検印の赤やはらかく

行秋の君は線もて描かるる

狂ひ花短き釘を買ひ揃へ

聖樹から聖樹へ梯子運びけり

密漁のごとくに濡れて冬の薔薇

牧神の胴に名草の枯れかかる

雪掻きののち文机をともにせり

電線のゆるく巻かるる冬の暮

越谷に火事つつましく終りけり

脱ぎてより赤を増したるコートかな

包まれて軽き春画よ年の内

初夢に見る上代の魚市場

蓬莱の山に懐中時計かな

煮魚の目玉こぼるる四日かな

外つ国の初市に色あふれたり

人日や地下に活字の呼気満ちて

写経紙のむらさき動く寒九かな

浅春の一木ごとの直立よ

つちふるや造船所より犬出で来

霧吹の口淋しくて春の宵

末黒野へ倒す梯子の長さかな

道のもの数ふることも春愁

蒸鰈真夜の白さを呈したる

卒業の日のスカラ座の乾きかな

万愚節旗のごとくに立ちゐたり

あけぼのの宝石類や花の雨

俗世より鼻を濡らして春の馬

沈丁や旅ふつふつと錆びゆける

春の波人の近くに終るなり

晩春の焼く火と煮る火となり合ふ